2017年5月1日 更新

「本能寺の変」で織田信長を殺したのは本当に明智光秀なのか?日本史の教科書に載らない歴史の黒幕 「真犯人」という歴史のロマンが面白い!!

京都で起きた「本能寺の変」で主君である織田信長に謀反を起こし、殺したといえば明智光秀がそう。それが教科書で習う事です。日本史を勉強した人なら誰でも耳にした常識。しかし、専門家の中には明智光秀を操った「影の黒幕」が存在するかもしれない。そんな意見があります。歴史のロマンを感じる面白い話ですね。

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●誰が織田信長を殺したのか?

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あと一歩のところまで夢をつかんだのに・・・
歴史を見るとそうした偉人をよく見かけます。

織田信長もその1人でしょう。
戦国時代最強と言われた武田家を滅ぼし、実質的に天下統一を手中に収めた織田信長。

当時の人は、織田信長が天下人になり、今後の日本を舵取りする。
そう思ったでしょう。

そんな織田信長の野望にストップをかけたのは大事に育ててきた部下。
明智光秀でした。
それが有名な京都で起こった「本能寺の変」です。
天正10年(1582年)3月、信長は甲斐(現在の山梨県)へ侵攻し、長年の宿敵だった武田氏を滅ぼしました。

天下統一の手応えをつかみ、意気揚々と安土に帰還した信長でしたが、まもなく部下の羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)に任せていた中国攻めで毛利氏の大規模な反攻が始まり、応援を要請されます。
「本能寺の変」で明智光秀に裏切られた織田信長。
歴史に興味がない人でも「織田信長の最後」や「本能寺の変」くらいは知っているもの。
それだけインパクトがありました。

しかし、なぜ明智光秀が織田信長を裏切ったのか?
本当の理由は専門家でも意見がわかれるほど明確ではないようです。

さまざまな説が現在も研究されている「本能寺の変」。
興味深い考え方の1つとして「明智光秀を操っていた黒幕の存在」
それがささやかれています。
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天下統一を目前にした織田信長が、盟友・徳川家康を安土城に迎えた。その世話役を命じられた明智光秀の用意した料理があまりにも豪華だったがゆえに信長を怒らせたという説もある。この伝説の「安土城の饗応」メニューとはいったいどんな味だったのか? 食文化史研究家の永山久夫さんが五品を再現した。
贅を尽くした光秀の饗応メニューに、信長が激怒したのはなぜだったのか。それに関してはさまざまな説がある。大役を任されて張り切り過ぎた光秀が、まるで「御成」(臣下が貴人をもてなす食事)のような贅沢な食事を用意したから、という説。
そもそも「本能寺の変」とはなんでしょうか?
「本能寺の変」とは1582年に京都の本能寺で起きた織田信長暗殺事件です。

家臣の明智光秀の謀反をまったく予測できず、主力部隊を各地に派遣していた織田信長。
突然の裏切りになすすべなく、護衛もほとんどいない部防備の状態。

天下統一・・・日本の改革という夢が目の前にありながら49歳の人生が終わったのです。
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今回も、まずはよく聞かれる質問に答える形で、解説しましょう。
Q1.「本能寺の変」とは何ですか?

1582年6月に京都の本能寺で起きた、織田信長の暗殺事件です。犯人は家臣の明智光秀で、この謀反をまったく予期していなかった信長は、護衛のほとんどいない中で襲撃され、49年の生涯を閉じました。
「本能寺の変」を起こした明智光秀ですが、外交や行政として織田家で重要なポジションにいました。

後に天下人となる豊臣秀吉と並ぶ信頼おける部下の1人。
彼が裏切りなど織田信長の予想できなかったのです。
「本能寺の変」で明智光秀を扇動した「黒幕」はいたのか? いたとすれば、それは誰だったのか? その後の光秀のあまりにも手際がいい行動、「本能寺の変は用意周到に準備されていたのではないか」と思われることから推測すると、いくつかの「仮説」が浮かび上がってきます。
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甲斐(現在の山梨県)の武田氏が滅んだあと、信長にとって最も脅威となったのは中国の毛利氏でした。毛利氏は信長に派遣された秀吉と攻防を繰り広げていましたが、まもなく信長自身による本格的な攻勢が始まることを知り、存亡の危機に直面していました。
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