2018年3月20日 更新

「OyaG」イベント開催!2度目の登場レジェンドZeebraトークライブ!

2018年3月18日、東京・西麻布で開催された「OyaG」トークショー。今回のゲストは、HIPHOP界の重鎮でもあるZeebraさん。ヒップホップアクビティストとして精力的にヒップホップ文化を若い世代に広めているZeebraの過去、現在、未来について多岐にわたりトークが繰り広げられました。

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「オヤジの毎日をカッコよく!」をコンセプトに開催しているOyaGイベントが六本木にて開催されました!
今回は、北野武監督のBROTHERをインスパイアされ、シングル「Neva Enuff Feat. AKTION」を発表。一世を風靡した、あのZeebraさんが遊びに来てくれました!
早速、Zeebraさんのトークライブがスタート!
デビュー前の貴重な話から、「フリースタイルダンジョン」の秘話まで熱く語ってくれました。
トークショーでMCを務めるQさん&ZeebraさんのTVでは、観られない奇跡のコラボが実現しましたよ♪
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レジェンドZeebraさんの子供時代のエピソードからスタート!

小学5年生の頃、放送委員をしていて、放送委員長にまでなったという。
「当時は80年代のヘビメタや、マイケルジャクソンのスリラーが大好きで、スリラーは母の友達のまえなんかでも全部踊れたね(笑)。放送委員になったのも自分が好きな曲を皆に聞いて欲しいからだった。きっと小学生の頃からDJ気質だったのかな」

中学1年生でレコードで遊ぶのに夢中になり、中学2年生の時に、初めてディスコに行ったという。
中学の頃はブレイクダンスもするように。
それからというものDJとしてスクラッチをしまくった日々。
「中学のときはブラスバンドもやっていたけど自分で演奏するよりも、皆にいい音楽を聞かせる方が好きだった。中学2年生の頃にすでに英語が話せたから、日本語ではなくて英語でラップもするようになったんです」

当時、住んでいた家が六本木だったから、夜はクラブに行って遊んでいたんだとか。
この頃から友達がたくさんいたというジブラさん。
「俺は東京生まれヒップホップ育ち、悪そうなやつはだいたい友達」
この頃から全くブレていない生き方。

マイケルジャクソン スリラー PVノーカット(1/2)

17歳の頃、初めてリリックを書いたというジブラさん。
「でも最初は全く韻を踏めてなかったな。ほんとうはまい小節韻を踏まないといけないんだけど(笑い)」
「日本ではまだまだラップが自由にできない環境だと思っている。そもそも昔とあまり変わってないと思う。でも中国や韓国では、ヒップホップが流行しているし、世界的にも賑わっている状況なのに。
もっと日本人にも流行していいもらいたいから、メディアを自分でつくらいないといけないと思って情報を発進出来るメディアを作ったんです」
「子供時代は、とにかくクリエイティブなガキだった」と話すジブラさん。
「幼稚園の頃、仲良しだった女の子に、いきなり好きってほっぺにチューをしてもらったときから、目覚めちゃったのかもしれないね(笑)」。
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不可能を可能にするアーティストのモチベーションの保ち方とは?

「自分が育てなきゃいけない子供がいるっていうことがモチベーションを強くしていると思う。俺は若いうちに子供を作っちゃったからね」
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「1988年にニューヨークにいる友達を頼って、ブロードウェイの近くの治安の悪い地区に行った。
当時ハーレムにある店はほとんど鉄格子で囲まれていたし、夜はほとんど人が歩いていなかった。
そんな刺激的なニューヨークで出会ったのが、僕の大先生のケアレスワンだった」
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socialzine編集部 socialzine編集部


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