2017年4月10日 更新

江戸時代の鎖国は本当にあったこと? 東大の日本史入試問題が導いた「歴史の真実」は真実か!?

江戸時代の鎖国といえば、100年以上も海外との関係を断絶した日本の歴史。歴史に詳しくない人でも名称くらいは聞いたことがあるでしょう。しかし、江戸時代に本当に鎖国があったのか?疑問に感じている人もいるようです。

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●江戸時代に本当に鎖国はあったのか?

教科書で習った歴史が本当の事だとは限りません。
当たり前だと思っていた知識や経験も、専門家が違った角度でみれば新しい姿になるかもしれないのです。

「江戸時代の鎖国」はまさにこの解釈に当てはまるかもしれません。
東京大学の日本史入試門の専門家が語る歴史の真実は?
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江戸時代、幕府は鎖国を行って海外との交流を断っていた――多くの人、特に、30~40代以上の方は、小学生の頃からこう習ってきたはずである。
長崎の出島で限られた国とのみ細々と貿易を行ってはいたが、それ以外は完全に外交をシャットアウトし孤立していた。
江戸幕府は海外との交流を長年経った・・・
これが「鎖国」です。

長崎の出島など日本の一部で少しだけオランダや中国と貿易が行われていましたが、それ以外とは完全に外交をストップさせていた江戸幕府。

幕末に黒船がやってきて半ば強引に開国させ、江戸時代が終わりをつげ、明治時代になる・・・
この日本の歴史は小学校の授業で習ったことでしょう。

これは当たり前の常識です。
しかし、東大日本史の入試問題ではこの常識に疑問を投げかけたのです。
実は「鎖国」と呼ばれていた17世紀半ばから19世紀半ばにかけてのこの頃、幕府は完全に海外との交流を断っていたわけではなかった。長崎以外にも、対馬・薩摩・松前の3つの外交窓口を開いていたのだ。この4カ所を「四つの口」体制という。以下にそれぞれ解説しよう。
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以上の内容をまとめれば解答になるが、「東大の日本史」の解答字数は、600字近くの大論述を課す世界史と比べると、かなり短い。実際に書いてみると、余計な部分を削ぎ落とさないと収まらない。それが「東大の日本史」の難しさでもあり、腕の見せどころでもある。
そもそも何処まで行けば「鎖国」という言葉を使えるのか?
非常に怪しい問題です。

江戸時代に鎖国が始まったと言われる時代・・・
当時の役人は鎖国という言葉を使っていなかったのです。

鎖国は後の時代の人が「当時をわかりやすくするための言葉」。
貿易の規模を小さくした江戸幕府ですが、外交を完全にストップしたわけではなく、鎖国をしていたという自覚はなかったかもしれません。

幕府の目的は外交をストップさせ、当時の国際社会から孤立する事ではありません。
国内の支配体制を安定させたい。
そうした幕府の目的があったのです。
こういった情報をうまく利用し、幕府はイギリスとの通商を拒否した。かなりの交渉上手である。そう、「鎖国」下においても、日本は無知でも孤立していたわけでもなかった。こうした確かな情報収集に即した外交能力は幕末にも発揮されており、列強の言いなりのままに不平等条約を押しつけられたわけでは決してなかったのである。
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江戸幕府は当時、付き合いのあった国から国際的な情報を得ていました。
決して、孤立し、無知なのではありません。

情報網を駆使し、鎖国であっても情報という武器を手に入れていた江戸幕府。
幕末においても列強のいいなりになったわけではないのです。

こうした事実をもって、専門家では「鎖国」ではなく「開かれた鎖国」という言葉を使っている人もいます。
私たちは、文章を読んでいるようで、驚くほど読めていない。ステレオタイプな見方が邪魔をしているのだ。しかし、意識していなければ読み飛ばしてしまいそうな、何気なく書かれた言葉にこそ、新たな知見を得るカギが隠されている。
突飛ではないが鋭い視点を持った独自の問題を出題する、「東大の日本史」入試問題。数ある「東大の日本史」の傑作問題の中でも、受験生ならびに筆者が現在身を置く予備校界にも衝撃を与えたのが1983年度の問題である。
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