2017年3月25日 更新

徳川家康はなぜ日本人に嫌われる? 凄い成功者なのにハブかれる理由

織田信長、豊臣秀吉と並んで日本を代表する戦国武将である徳川家康。200年を超える江戸幕府の礎を築いた重要人物ですが、日本史や戦国武将が好きな人でも人気は高くないようです。好きなファンもいますが、嫌っている人も多い徳川家康。なぜ、彼は日本人に嫌われるのでしょうか?

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●徳川家康はなぜ人気がない?

戦国三英傑といえば織田信長、豊臣秀吉。
そして今回メインとして取り上げる徳川家康です。

日本史を代表する偉人であり、1603年に始まった江戸幕府の礎を築いた重要人物。
1867年の大政奉還まで200年を超える徳川幕府の時代。
これほど長い期間続いた政権も珍しいものです。

しかし、徳川家康自体の人気は2つに分かれます。
織田信長や豊臣秀吉は今でも多くのファンを獲得する戦国武将ですが、徳川家康は嫌っている人が多いようです。

なぜ、徳川家康は日本人に嫌われるのでしょうか?
「あなたの好きな戦国武将は?」「あなたの尊敬する偉大な人物は?」
このようなアンケートでランキング上位によく来るのは「織田信長」「豊臣秀吉」「真田幸村(信繁)」「武田信玄」「伊達政宗」といったおなじみの名前です。その中に「戦国の覇者」である徳川家康の名はなかなか見当たりません。
 徳川家康はかなりのケチだった。着物は、ぼろぼろになるまで使った。麦飯を好んだ。紙一枚もむだにしない。武士が座敷で相撲を取っていたら、畳が傷まぬように裏返せと指示した。とことん倹約に励んだことで、莫大な財産を築き、江戸幕府の土台ができあがった。
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Q1. 徳川家康ってどんな人ですか?
江戸幕府の初代将軍です。初めは三河(愛知県東部)岡崎の小大名・松平広忠の子として生まれましたが、後に織田信長と同盟を結んで勢力を拡大しました。
徳川家康は織田信長と仲が良かった事で有名です。
裏切りが当たり前のように繰り広げられていた戦国時代。
織田信長と徳川家康の同盟は続き、お互いに支え合いながら勢力を拡大していきました。

明智光秀に織田信長が討たれた後は豊臣秀吉に臣従しつつ、天下取りのチャンスを伺います。
豊臣秀吉亡き後は「天下分け目の戦い」と言われた関ケ原の戦いで石田光成を破ります。
そして1603年に江戸幕府を開きます。
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国盗り合戦が繰り広げられた戦国時代に、驚くべき長寿を全うした武将たちがいた。平均寿命がわずか37~38歳であった当時、70歳を超えて生きることはたやすいことではなかった。長寿で知られた武将たちの息の長い人生と健康の秘密は、日々の食へのこだわりにあった。
家康には、私たち日本人が好む「ヒーロー」の要素がありません。
源義経や織田信長、真田幸村など日本人が好きな武将には、「戦場で華々しく活躍する英雄」としての姿や、逆に「志半ばで潔く散っていく悲劇の英雄」としての姿があります。また豊臣秀吉には、「農民の子から天下人へ大出世した」という物語があります。
織田信長や豊臣秀吉の成し遂げることができなかった200年以上続く政権の確保。
天下を取ることができても、自分の死後も子孫が政権を確保できたのは2人にない徳川家康の成果といえます。

しかし、なぜ徳川家康は日本人に人気がないのでしょうか?
まず、徳川家康は結果を残しましたが、その過程にヒーロー感がありません。

華々しく散った織田信長、知略にたけた豊臣秀吉・・・
それに対して「耐え忍ぶ事」がイメージにある徳川家康は、プライドよりもメリットを取る部分があります。

そうした部分がほかの戦国武将に人気を取られてしまった部分があるでしょう。
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「堺に徳川家康の墓があるのは知っていますか」。堺支局に赴任してしばらくしたころ、こんな話に耳を疑った。家康は大坂夏の陣翌年の1616年(元和2年)、駿府城(静岡市)で亡くなり、その後に日光東照宮に改葬されたはず。なぜ堺に家康の墓があるのか。謎を探った。
単なる伝説で、こんな大がかりなことをするだろうか。そんな思いを抱いていると「伝説を裏付けるものがまだあるんです」と川上さん。家康の墓の斜め後ろには伝説にも登場する開山堂の跡がある。
豊臣秀吉が「サル」と呼ばれていたのに対し、徳川家康は「狸」と呼ばれます。
つまり、油断ができない食えない男が徳川家康なのです。

織田信長との絆は漫画や小説などで美しく描かれていますが、本心は出世のためのツールに過ぎなかったのかもしれません。

織田信長が「本能寺の変」で打たれると、豊臣秀吉に従いますが、「関ケ原の戦い」では豊臣家を敵にし、滅亡へと追いやります。

戦国時代で天下と取る・・・
そうした意味で結果はついてきましたが、義理や人情を大切にしない。
それが徳川家康のイメージになってしまったのです。
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